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2016.08.24 Wed
『世界で輝く日本人美容師経営者〜カメラマン須藤夕子が聞く』
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クアラルンプールで美容院を開業して13年、 日本人経営者のダイスケさんにお話を聞かせてもらいました。


ダイスケさんは、1974年生まれ渋谷区の三宿で生まれ育ち、 中学生の頃に知り合った美容師さんの所で手伝いをしたことがきっかけとなり、 中学を卒業後は、住み込みで働くようになり、 気がつけば夢中で美容の世界を追求するようになったそうです。
貯金をして、23歳の時に、イギリスへ留学、 1990年代、 日本はみんなが同じようなファッションや髪型をしていた時に イギリスで見たモノは驚くことばかり。
「ジャパニーズスタンダードから脱しなければ世界で通用しない」
ということを思い知らされた。


「23歳で留学」 と文章にすると簡単なことのように見えますが、 きっと大変な決断だったことでしょう。
「ダイスケさん、辛かったことは何ですか?」
と言う質問にダイスケさんは、
「、、、、、、、辛いことはなかったかもしれない、 それよりも、 日本の窮屈さから開放されたことや 毎日が刺激的でたくさんの価値観を学べることが面白かった」 と。


過去、私もいろいろな著名人や 何かを成し遂げた人に話を聞いて来たけれども、 全員に共通することは、 とにかく誰に何を言われようが 自分の決断で前に進んでいくということ。 ダイスケさんもその一人だ。


美容師の資格があり、 世界に通用する技術を習得していれば、 どこでも生きて行くことができる。 資格だけでは駄目、 数々のお客さんが教えてくれた一つ一つのことが 全て生きる力になり、 国が変わっても必要とされる人となったダイスケさん。 荷物はほとんど持たずにハサミと自分の技術だけで、 イギリスから次はインドへ渡った。


—インドでのエピソード イギリス時代に出会ったマレーシア人の友達から クアラルンプールの話を聞いて、 再び直感が働いたダイスケさんは、 行ったこともないクアラルンプールへ行き、 その日からすぐに開業準備を始め、 この地で形を残そうと開業してから、 現在では11人のスタッフを雇い、マレーシア人と国際結婚され、 予約が取れない程の人気店に成長されています。


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中国でセミナーに呼ばれたり、 自分の技術を多くのスタイリストに伝えたりと 定期的なレクチャーを店内でやっている。

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「マレーシア人のお客さんが多いそうですが、 どんな点を注意していますか?」 と伺うと、宗教上イスラム教徒(ムスリム)の女性は ヒジャブというスカーフを巻いてお店に来ます。 ムスリムの女性は顔以外の髪の毛や肌を露出してはいけない というルールがあるため、 全ての席はカーテンで仕切っていて、 中は見えないようにし、女性スタイリストを付けています。


中国人のお客さんも多く、刈り上げや奇抜な髪型を求めら れることもしばしば、縮毛矯正する人はほとんどゼロに 等しいそうです。様々な価値観や文化の違いを理解して、 お客さんの求めているモノを表現できる技術と、 そして話術を持っていないといけないのかもしれません。


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穏やかな笑顔のダイスケさん。 ご自身の歴史を話される時は、 「やりたいと思った方向にただ向かっただけなんだ」 と、とても簡単なことのように話してくれたけれど、 それができて結果を出せる人は少ないかもしれない。 でも、誰にだってできるんだ! と思わせてくれる様な語り口調で、 私自身も、とても勇気を貰えました。



ダイスケさんを取材して感じたのは、 美容師の仕事というのは、ただ、髪を切り、 ヘアスタイルを変えることが仕事ではない。 何を相手が求めているか? それをテレパシーのように読み取る能力が、 美容師にとってとても必要なことなのかもしれない。 日本人として生まれ育ったこと、 それはとても強い武器になります。 きめ細やかな対応、気配りは、 私たちのDNAに刻み込まれているモノですから、 日本人の需要はあるのではないでしょうか。